麻生瑛子さんから、「イエスが愛した女(仮題)」のゲラ刷りが送られてきた。
プロローグを読んだだけで、仰天した。
たとえて言えば、高級フランス料理の最初の一口を味わったような気がしたからだ。
これは、プロの味付け、なんという美味。 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか、
気がついたら一気に読み終えていた。プロの料理にありついたという最初の予感は、最後まで裏切られることはなかった。
これは戯曲と言うのだろうが、詩のようでもあり、今まで出会ったことのない新しい文学形式のような感じさえした。
しばらく感動の渦の中に浸っていたが、徐々に次のようなことを考え始めた。
1. 彼女は、神学者ではないはずなのに、どうしてこんなに神学的な骨組みがしっかりしているのだろうか。
よほどの勉強家なのか。それとも、ご主人のアドバイスが効いているのか…。
2. 神学者でないだけに、ことばが血となり肉となっている。まるでマグダラのマリア自身が
目の前に現れて語っているようだ。この作品は、彼女の内で長期の熟成期間を経て日の目を
見たに違いない。
3. マグダラのマリアを通して、イエスの姿が見えてくる。特に、十字架の場面の生々しさは、圧巻である。
4. マグダラのマリアのイエスへの愛が、ほとばしり出ている作品だ。
途中から、マリアと麻生瑛子という二人の人物が重なり合い、私はこの作品を、批評家の目では
読めなくなってしまった。
読者は、自分がイエスというお方と対峙させられていることを意識せざるを得なくなる。
私はまだ、麻生瑛子さんが演じるこのひとり芝居を観ていない。
早く観たい気持ちと、この作品のイメージを保ち続けるためには、観ないほうがよいという気持ちが入り乱れている。
この作品は、演じられるために書かれたものなのだろうが、私には、読むための作品でもあるような気がしているからだ。
1999年12月28日
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